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<BODY BGCOLOR="#FFFFFF">

<TITLE>三田祭論文「東京の郊外化」</TITLE>

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<FONT SIZE=4 COLOR="red"><B>三田祭研究発表「東京の郊外化」</B></FONT><BR>



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<HR><H1>第１章　首都圏の人口動態</H1>



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<H2>第１期：〜1905年</H2>

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<IMG SRC="map/zentai/00-05.gif" ALIGN="left"><BR>

<B>1900-1905</B><P>



凡例 ： ５年間において<P>

青色 ： 減少<BR>

水色 ： ０〜２５％増加<BR>

緑色 ： ２５〜５０％増加<BR>

黄色 ： ５０〜７５％増加<BR>

桃色 ： ７５〜１００％増加<BR>

赤色 ： １００％〜増加<BR>

<BR CLEAR=all>

<BR><BR>

　この部分に関しては５年分の変化を見ることにするが、人口動態に大きな変化は認められない。増加が比較的高いのは現在の山手線の内縁部でありその他の地域については目立った変化は観察されない。1894年までに現在のＪＲ線にあたる鉄道網は完成していたが、通勤鉄道としての性格というよりも貨物輸送や長距離輸送を主眼としており通勤鉄道としての性格はなかった。まだ東京の郊外化は起こっていないと言えよう。<P>

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<H2>第２期：1905年〜1925年</H2>

<BR>

<IMG SRC="map/zentai/05-25.gif" ALIGN="left">



凡例 ： ２０年間において<P>

青色 ： 減少<BR>

水色 ： ０〜５０％増加<BR>

緑色 ： ５０〜１００％増加<BR>

黄色 ： １００〜１５０％増加<BR>

桃色 ： １５０〜２００％増加<BR>

赤色 ： ２００％〜増加<BR>

<BR CLEAR=all>

<BR>

　この時期東京10〜20km圏内の人口増加が始まり、特に1920〜1925年の増加が著しい。これは1923年の関東大震災の影響がまず考えられるがこの考察は後へと譲ることにする。特に人口増加が目立つのは山手線の周辺地域及び東京西部地区である。この時期になると首都圏の鉄道網も整備され始めている。山手線の各駅をタ−ミナルに郊外、特に南西方向へ放射状に鉄道が伸びてゆくが、それは人口増加が著しい地域とも一致している。また神奈川県北部の増加も高い割合を示している。この時期は埼玉県、千葉県は高い増加率が見られない。いわゆる「山の手」が人口増加の中心であり20km以遠の地域に関しては増加率に大きな差異は認められない。人口増加率は総じて10％（年平均２％）弱である。<P>

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<H2>第３期：1925〜1947年</H2>

<BR>

<IMG SRC="map/zentai/25-47.gif" ALIGN="left">



凡例 ： ２２年間において<P>

青色 ： 減少<BR>

水色 ： ０〜５０％増加<BR>

緑色 ： ５０〜１００％増加<BR>

黄色 ： １００〜１５０％増加<BR>

桃色 ： １５０〜２００％増加<BR>

赤色 ： ２００％〜増加<BR>

<BR CLEAR=all>

<BR>

　大正14年から昭和22年にかけてであるが人口増加の傾向に大きな差異は認められない。その中心は東京西部、神奈川県北部である。但し、1940〜1947年に関しては戦災という特殊要因があり、大きく傾向が変わる。空襲等や疎開などの混乱を背景に東京10km以内の地区及び工業地帯である京浜地区の人口が激減し、周辺地域である埼玉県南部・千葉県北西部及び東京西部（多摩東部）や神奈川県西部の人口が増加している。これは戦災で廃墟となった都心から郊外への人口の移動がその主要因と考えられる。また、40年までに関しては第U期と大きな差異は認められないがその中心はやや外側に移動している。<P>

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<H2>第４期：1947〜1965年</H2>

<BR>

<IMG SRC="map/zentai/47-65.gif" ALIGN="left">



凡例 ： １８年間において<P>

青色 ： 減少<BR>

水色 ： ０〜５０％増加<BR>

緑色 ： ５０〜１００％増加<BR>

黄色 ： １００〜１５０％増加<BR>

桃色 ： １５０〜２００％増加<BR>

赤色 ： ２００％〜増加<BR>

<BR CLEAR=all>

<BR>



　この時期には大きく分けて二つの流れがある。まず、1947年〜1955年ごろは再び都心部の人口は増加に転じている。そして、人口増加の中心は再び京浜地区にうつり、多摩地方や埼玉県南部、千葉県北西部などの地域の人口増加はやや落ち着いている。そして、1955年を境に都心部の人口は停滞・減少に向かい、変わって10〜30kmの圏内の人口増加が中心となる。また、50〜60年は神奈川県の北部（川崎・横浜）や多摩地区（東部）の人口増加が目立つが、その５年後には（60〜65年）埼玉県南部や千葉県北西部の人口増加が著しくなる。同一距離圏で比較するとほぼ5〜10年のタイムラグで埼玉県・千葉県の人口増加が始まる。この傾向はほぼ70年代まで維持される。また、都心では人口は一部減少に転じている。<P>

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<H2>第５期：1965〜1985年</H2>

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<IMG SRC="map/zentai/65-85.gif" ALIGN="left">



凡例 ： ２０年間において<P>

青色 ： 減少<BR>

水色 ： ０〜５０％増加<BR>

緑色 ： ５０〜１００％増加<BR>

黄色 ： １００〜１５０％増加<BR>

桃色 ： １５０〜２００％増加<BR>

赤色 ： ２００％〜増加<BR>

<BR CLEAR=all>

<BR>

　都心の人口減少の傾向は一貫して続いている。1970年を境に10〜20km の人口増加は終息し、横這いの傾向が強くなる。また20〜30km圏も1975年迄を最後に停滞状態に入る。30〜40、40〜50km圏も増加のピ−クは70年代前半であり、その後は停滞期に入るがその減少（増加率が鈍化するペ−ス）は30km以内の圏内よりも緩やかになる傾向がある。80年代に入ると人口の増加は全地域にわたって鈍化する傾向にある。また、この時期に人口が増加しているのは埼玉県西部及び神奈川県中部である。千葉県に関しては増加の程度は他県に比べて低く。バラツキも大きくなっている。<P>

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<I>Copyright (C) 1996 Shinya Sugiyama and the Sugiyama seminar. All rights reserved.</I><BR>

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