教授紹介



 当ゼミナール担当教員の飯田 恭(いいだ たかし)です。
 僕の経歴や研究業績の一覧(データベース)はこちらにありますのでご覧ください。以下では、それをもとにしながら、これまでの僕の研究の歩みを紹介したいと思います。


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留学前

 僕は、1988年に東大経済学部の西洋経済史のゼミに入り、1990年に大学院に進んで西洋経済史の研究を始めました。近世ヨーロッパのエルベ川以東に広く普及したグーツヘルシャフト(農場領主制)について、プロイセンを中心に研究することになりました。
 当時の日本の西洋経済史学界ではなお、「向こうの」研究者(つまり西洋本場の研究者)が書いた著書や論文(二次文献)を日本語で整理・紹介するという輸入型の研究手法が支配的であり、特に東大はその伝統を固く守っていました。僕も初めの2本の論文はその手法で書くこととなりました。



留学からRuppiner Bauernleben (2010)の出版まで


 1993年秋から2年間、僕はドイツ学術交流会(DAAD)奨学生として、ベルリン・フンボルト大学第Ⅰ哲学部歴史学研究所に留学します。これが僕の研究にとって大きな転機となります。そこで師事したハルトムート・ハルニッシュ教授(プロイセン史講座)の警告をきっかけとして、僕は二次文献に依拠した輸入型の研究を止め、本場ドイツの研究者が行うのと同じように一次史料を使ってオリジナルな研究を行い、それをドイツ語で発表する方向へと舵を切りました。教授が僕に課したのがブランデンブルク州・ルピン地方の御料地(プロイセン国王の所領=グーツヘルシャフト)の研究。それについてドイツ語で3本の論文を出したのち、集大成として、Ruppiner Bauernleben 1648-1806: Sozial- und wirtschaftsgeschichtliche Untersuchungen einer ländlichen Gegend Ostelbiens (Berlin: Lukas Verlag, 2010)【詳細はこちら】を出版しました。従来のグーツヘルシャフト研究においてあまり注目されてこなかった領民の家族・親族関係の詳細を明らかにした点は、本書の一つの特徴です。その際僕は、当時ヨーロッパで隆盛を極めていたミクロの家族史研究(歴史人類学的研究)の影響を受けましたが、そのことは本書の一部をChristophe Duhamelle & Jürgen Schlumbohm eds., Eheschließungen im Europa des 18. und 19. Jahrhunderts: Muster und Strategien (Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht, 2003)【詳細はこちら】に寄稿したことにも現れています。
 また本書の成果をもとに、日本の学界に向けて発言する機会が幾度かありましたので、紹介します。まず、本書の成果(の一部)をもって「封建領主制」の伝統的解釈に挑んだのが、「『無能な』農民の強制立退―近世ブランデンブルクにおける封建領主制の一側面―」『経済学論集(東京大学)』第64巻第2号(1998),25-59頁、日本の西洋経済史学の古典に挑んだのが「共同体の『ゲルマン的形態』再考―静態モデルから動態モデルへ―」小野塚知二・沼尻晃伸編『大塚久雄「共同体の基礎理論」を読み直す』(日本経済評論社,2007),163‐187頁(第5章)【詳細はこちら】、です。また「東アジアの勤勉革命(労働集約的発展)」対「ヨーロッパの資本集約的発展」というグローバルな比較史の文脈に本書の成果を位置付けたのが、「『農場』と『小屋』―近世後期マルク・ブランデンブルクにおける土地希少化と農村発展-」大島真理夫編『土地希少化と勤勉革命の比較史―経済史上の近世―』(ミネルヴァ書房,2009),275-311頁(第7章)【詳細はこちら】。そして「ヨーロッパの特殊な道」という大きな文脈に本書のローカルな成果を位置付けたのが、「『ヨーロッパ史』のなかの近世ブランデンブルク農村―領主制の経路規定的影響力に注目しながら―」『西洋史研究』新輯第41号(2012),177-191頁、です。


「農村史」から「森林史」へ


 2006年春には上記のドイツ語の本を脱稿していましたので、その頃から次のテーマを模索し始めました。結論として、僕はハルニッシュ教授によって課されたルピン御料地の研究にとどまることにしました。一冊本を書いてもなお手つかずの史料が数多く残っていたからでした。時代や対象を拡げてさらに史料を読み進めていくうちに、これまで主として農業史・農村史の文脈で研究されてきたグーツヘルシャフトの森林史的側面の重要性に気づきました。領主(国王)から農民への建築用材の下付について、“Bäuerliches Beharren auf der „Holzberechtigung“. Die Auseinandersetzungen zwischen Gutsherrn und Bauern im brandenburgischen Amt Alt-Ruppin während der ersten Hälfte des 19. Jahrhunderts,” Jahrbuch für die Geschichte Mittel- und Ostdeutschlands 55 (2009): 121-165【詳細はこちら】を発表し、続いてアメリカのジャーナルに “The Practice of Timber Granting from Lords to Peasants: A Forest–Historical Perspective of the Gutsherrschaft in Brandenburg–Prussia from 1650 to 1850,” Agricultural History 87 (Fall 2013): 502-524【詳細はこちら】を発表しました。英語で出したのは、歴史の学界でもこの間急速にグローバル化が進展し、世界に向けて英語で発信することが強く求められるようになってきたからです。
 最近では領主(国王)の領民に対する燃料用材供給について調べています。森林史に踏み出したことで、経済史・社会史を越えて環境史の領域にも入り込むこととなりました。

日本は「プロシア型」なのか?


 ところで、プロイセンとはご存知の通り、近代化しつつある日本が様々な意味で模範とした国です。戦後のマルクス主義的な経済史学では日本の近代化の経路はしばしば「プロシア型」の系列に属するものとされました。でも本当にそうなのでしょうか?ヨーロッパとアジアの間に横たわる拭いがたい相違を考えると、それは直ちに首肯できるものではありません。その問題を研究したのが、「日本とプロイセンの土地制度史的比較をめぐる新たな論点―近世農民の土地所有に関する相違―」『歴史と経済』第199号(2008),45‐54頁、「領主・君主・国家の森林に対する農民の権利―近世・近代移行期のプロイセンと日本―」『歴史学研究』第893号(2012)です。渡辺尚志著『惣百姓と近世村落-房総地域史研究-』の書評(『歴史と経済』 213号(2011),62-64頁でもその問題に触れています。

あるべき「西洋史研究」


 以上の紹介のなかにも窺えるように、僕が大学院に進んでから四半世紀の間に、日本の西洋史研究者を取り巻く環境は劇的に変化しました。当初はなお、西洋本場の二次文献を日本語で紹介するという輸入型の研究手法が支配的でしたが、僕は留学を契機に、周囲のドイツ人と同じように、一次史料を読んでオリジナルな仕事をし、それをドイツ語で発表するという方向への転換を迫られました。それ以来、本場ドイツの学界に向けて一定の発言はしてきたとは思いますが、しかし気づいてみるとその間にグローバル化が容赦なく進展しており、第一線の研究をするためには、もはやドイツ語だけでは許されない時代が到来していました。英語で世界に向けて発信することが求められる時代が来たのです。その一方で、日本を研究・教育の拠点とする者として、日本語の読者向けに西洋史を噛み砕いて紹介する責務もあるでしょうし、また日本が近代以降(一部今日に至るまで)様々な意味で模範としてきた(いる)西洋の史的経路の特質を、日本の史的経路との関係・比較で解明することは、実にやりがいのある、また我々でなければできない仕事でもあります。
 以上のような環境変化の中で、あるべき「西洋史研究」について、自分の考えを折に触れて書き留めてきたのが、「史料と自分-近世ドイツ農民史研究の経験から―」(特集:社会史研究の現場から)『三色旗』(慶應義塾大学通信教育部)725号(2008),8-12頁、「『西洋経済史学』における外国語使用と一次史料主義―ドイツ農村史研究の経験から―」『経友』(東京大学経友会),180号(2011),164-169頁、そして、松尾展成著『ザクセン封建地代償却史研究』に対する書評(『社会経済史学』 第79巻3号(2013)143‐145頁です。
 またその過程で、ゼミ生が書く西洋経済史(ないし外国経済史)の卒業論文のありかたについても考えることとなりました(「『西洋経済史』の卒業論文―その課題と意味―」『三色旗』(慶應義塾大学通信教育部)748号(2010),8-15頁)。ゼミでの僕の指導方針の一端がここに見られます。 (2014年6月1日記)


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